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MyWAYロス

台風は房総沖へそれて行きましたが、それでも気圧が下がって元気が出ず、今日は(も)ジムはお休みしました。 このところMyWAYのデータ移行等で深夜まで作業していたため、睡眠リズムが狂ったことも背景にありそうです。 とにかく眠かったです。 特に昨夜はアマゾンのアカウントのパスワード変更に伴うトラブルが発生し、解決するには今日の昼過ぎまでかかりました。 結論から言えば、私がおバカだったということですが、アマゾンはメールによる私の問い合わせに「神対応」してくれて、本当に助かりました。 MyWAY閉鎖に関連する懸案事項は全てクリアできたので、気持ちをリフレッシュするために部屋を整理整頓し始めましたが、ふと思い立って閉鎖されたサイトをクリックしてみたら、  403 Forbidden が表示され、一瞬ですがショックを受けました。 MyWAYロスですね(笑)。 アフタークリニック時代から数えると10年ですから、それが断ち切られればそりゃぁ寂しく感じるのも当然です。 明日はジムに行けるかなぁ。

自民総裁戦の結果

蓋を開けてみれば岸田氏が手堅く首相の座を射止めました。 ポピュリズム独裁の河野氏では、危なくて任せられないということでしょう。 しかし、この先に控えている総選挙の顔として岸田氏で万全と思っている党員はあまり多くないのではないでしょうか。 これまでの日本国内の変化のスピードなら、党内調整型の岸田氏で十分でしょうが、習近平率いる共産中国は虎視眈々と台湾、そして尖閣諸島を狙っており、米国防筋によれば、5年以内には侵攻などの激しい動きが生じるのはほぼ確実!だそうです。 そうなれば、一人当たり所得で日本を抜いた韓国も、もちろん北朝鮮もロシアも、中国に歩調を合わせて日本を叩こうと狙いすましていますから、何が起きるかわかりません。 本当はこの変化のスピードに耐えられる国家運営が求められているはずで、岸田氏が心もとなく見えるのはこの点においてです。 高市氏は善戦しましたが、やはり首相の座には距離がありすぎました。 国民の多くは、右翼チックなこの人の考えをよく理解できていないように見えますが、しかし、私はこの危機の時代に最もふさわしい政治家は彼女ではなかっただろうかと思えてなりません。 テレビで木村太郎が当選するのは案外高市氏ではないかと述べたのも、あるいはという直感のようなものが働いたのではないだろうかと想像します。 残念ながら、まだそこまで熱量が高まっていませんでしたが。 願わくば、世界情勢の変化があまり急激ではなく、日本に十分な時間が残されていますように。

はじめに

これは会員制のWEB日記サイトMyWAY(2014年12月末~2021年9月末)に私が投稿した全日記の記録です。 また、2021年10月からは引き続きプライベートなWEB日記をつける場として利用する計画です。 しばらくは一般公開しますので、ご自由にご覧ください。  

ありがとう&さようなら

残すところ二日でMyWAYも終わり、皆さんともお別れとなります。 七年近くもの長期間、会員制WEB日記という珍しい試みにお付き合いくださり、心から感謝申し上げます。 時を重ねるにつれ次第に会員も減り、私自身日記(という名のプチメルマガ)を続けることがしんどいと感じるようになました。お付き合いくださる皆様におかれても同様だったかもしれません。 物事には潮時というものがありますので、そろそろ店じまいしても許される頃だろうと勝手に思っております。 この間、私は皆様に向けて何かを語り、日記にコメントをつけ、場合によってはプライベートなご相談に乗ったりも致しましたが、それらを通じて逆に多くを教えていただき、誤りを指摘していただき、素敵な贈り物をいただき、慰め励ましていただきました。 本当にありがとうございました。 高校時代の漢文の教師は「お寺さん」でしたが、体調を崩され、お年だったこともあって、学期半ばで退職されました。 ある日、教室に行くと「三年六組の諸君へ」という貼り紙があり、そこには自分の教師としての日々を振り返るとともに、別れに臨んだ切ない想いが綿々と記されていて思わず涙を誘われました。 彼は生徒に強く臨むタイプではなかったので、漢文などに興味のない悪ガキたちの恰好のからかい相手でしたが、私はその深い知識と漏れ出る教養に惹かれていたので、彼の退職を特に残念に思い、明日はこの文章を書き写して記念に残しておこうと思いました。 ところが翌日、学校に行ってみるとくだんの貼り紙は影も形もありませんでした。 他の教師が剥がしたか、悪ガキたちが破り捨てたのか、心ないことをするものだと思いましたが、時すでに遅しでした。 でも、別れというものは案外こうしたものではないのかと、後年思うようになりました。 人と人の出会いは放物線だか双曲線だか知りませんが、近づいてきたかと思うと急速に遠ざかっていきます。 そのまま遠ざかって、二度と巡り会うことはありません。 それが自然の摂理というものだと思います。 私の日記も今日で最後とします。 それではさようなら。 付記) 私は個人的にWEB日記を書き続けるつもりです。 そのサイトは下記ですので、ご興味がおありの方はお立ち寄りください。   MYWAY日記  (https://diaryofmyway.blogspot.com) MyWAYに投稿した私の...

自民党総裁選

来週水曜日は自民党総裁選の投開票日です。 実質的に日本国の首相を決めるのが自民党の議員と党員だけというのがしっくりきませんが、かといって大統領制にしたら良いかといえば、お隣の韓国を見ているとそれはないと思います。 仕方ないですね。 で、誰が選ばれるか、ネットを中心に侃侃諤諤の議論が続いていますが、それはさておき、どんな優先度で論点を取り上げて行ったら良いか、私なりの考えを簡単に書いてみようと思います。 優先度順に記すと、 経済 :失われた30年のせいで、日本の経済力は低下の一途をたどり、今や"日本の賃金は米国の6割、韓国にも抜かれた日本の凋落(野口悠紀雄)"と言う体たらくです。この責任は第一に経済学者が負うべきと思います。そしてなぜここまで落ち込んだのか、どうすれば復活できるのか、その道筋を示すことのできる人が首相になるべきです。「分厚い中間層の復活」と口先で言うだけなら誰でもできます。 安全保障 :世界は習近平率いる「ならず者国家中国」と対決するか足元にひれ伏すか、二分されつつあります。目先の経済的利益に目がくらんで天安門後を再現するような親中派政治家や経団連、彼らに物が言えない党内政治家には即刻退場してもらう必要があります。 国の形 :真子-小室事件を通して皇室制度、ひいては国の形が揺らぎ始めています。この事件は「破壊的」悪影響を及ぼす恐れが大です。ここは難しいことを言わず、愛子天皇への道を開き正統的な皇統を守らなくてはなりません。そのためには、かつて現天皇が提唱し美智子上皇后に拒否られた「皇室会計監査」を実現しなくてはならないと考えます。もう一点、憲法も(歴史を真剣に学んだ形の)独立国家に相応しいものに変えるべきですが、同時に文書を勝手に捏造・改ざん・廃棄する安倍政権の流儀を排し、立憲主義を尊重する気風を打ち立ててもらいたいと思います。 まず国力を立て直し、続いて旗幟鮮明(show the flag)にし、気持ちを新たに前を向き背筋を伸ばす。これに尽きると言うことです。 さて、以上の論点を全て満たす総裁候補はいるでしょうか? いなければ、セカンドベストは誰でしょう? 間違っても夫婦別姓やLGBT、コロナ対策などを上位に取り上げないでいただきたいと思います。

データの保存が終わった

MyWAYの私の分のデータのうち、旧サイトのものはテキストだけなので、旧サイトが生きているうちにそれを参照して画像を追加復元しました。 2014年12月末から2020年6月までの五年半の記録ですから、データ量は189.4MBもの膨大なものとなりました。 MyWAYをやらなかったら、このような記録を残すことはできなかったわけですから、そういう意味でも貴重な経験をしたと思います。 この作業をしながら、ほとんどの日記をもう一度斜めに読みました。 思った通り、その多くは完全に忘れていました。 保存してなかったら、文字通り私の人生の中から消えてしまった日々だったわけで、考えてみると恐ろしいことです。 これだけの分量の日記を書き続けることができたのは、もちろんこれが「仕事」だったからです。 来月からもWEB日記を続けるつもりですが、今度は仕事ではなく、読者もいない孤独な作業となります。 果たしていつまで続けられるかわかりませんが、この保存作業を通じてWEB日記の価値を再確認したので、多分書き続けられるものと信じています。 今日もジムで汗を流してきました。 夕食はキーマカレー。

『世界最凶都市ヨハネスブルグ・リポート』

南ア最大の都市ヨハネスブルグに行ったことのある日本人はあまり多くないと思います。 とにかく距離がありますし、何よりその治安の悪さが喧伝されているからです。 いわく、 人口あたりの殺人件数はダントツで世界一 信号で停車すると襲撃されるので、赤信号でも突っ切るべし 腕時計をつけていると手首ごと切り落とされて強奪される 何も持たないから大丈夫と思い外出したら、全て強奪されて裸で帰ってきた 都市中心部で強盗に遭う確率は150%(歩けば100%強盗に遭い、その後安全地帯に帰り着くまでに再び遭う確率が50%) 等々。 私がヨハネスブルグを訪れたのは、90年代の終わりごろで、例のアパルトヘイトがマンデラによって廃止されてから日も浅い頃でした。もちろん、そんな危険な市内に滞在するわけにはいかず、ホテルも仕事の打ち合わせ場所もヨハネスブルグの北側に隣接するサントンと言う白人居住区でした。 印象に残っているのは、ヨハネスブルグの市内を私の会社の現地事務所のお抱え運転手(黒人)に案内してもらった時のことで、 たむろしている浮浪者とは決して目を合わせない 物売りが来ても無視しろ どんなことがあっても決して車外に出ない などの注意を受けてから出発したので、とても緊張したことを覚えています。 子供の頃の教科書の写真で知ったヨハネスブルグは高層ビルの林立する大都会でしたが、現実の高層ビルは廃墟のようで、例えばカールトン・ホテルはシャッターが下り、それにもたれてヤクをやっているらしい目がトロンとした浮浪者が大勢いて、その前の歩道には物売りが雑多な品を並べていて、こちらの方に鋭い視線を向けていました。 でも、赤信号を突っ切るような運転はしなくても大丈夫でした。 また、マンデラの生家がある郊外のかつての黒人ゲットー「ソウェト」にも連れて行ってもらいましたが、何より驚いたのはバラックの立ち並ぶ一帯の道路や空き地が真っ白だったことです。 全て紙ゴミでした。 現地事務所のO所長が、「ヨハネスブルグにたむろしている黒人は、あれは人間ではない。信じられないくらい残酷で、獣よりもっと始末に悪い」と吐き捨てるように言った言葉もよく覚えています。 腕時計を強奪するのに手首を切り落とすと言う噂も本当だろうと思わせる迫力でした。 そんなヨハネスブルグもサッカーのワールドカップが行われ、少しは良くなっただろうかと思っていた...